評価と行動

こちらが今年のアメリカの「できる高校生」.それぞれの分野で表彰されています.実績を見てみると,大人顔負けのことを達成してしている子たちもいます.ダンスのようなスポーツでは言うまでもなく,物理や数学の能力についても,自分では叶わない子も多いと思います.若い能力は素晴らしいです.どんどん彼らに機会を与えて,自信を持ったり挫折してもらったりして,更なる成長とアプトプットに繋がれば素晴らしいと思います.一方で,こういう発表があると,日本ではどんな反応になるかな,と考えたのですが,アメリカの高校生は多様性があって素晴らしい,日本の画一的な受験は人を育てない,云々との日本批判になりそうな気がしました.(こう言った論調が予想されそうです,自分はやや苦手な論調ですが.)

日本の高校生を擁護するなら、このアメリカの「できる高校生」たちの進路を見ればいいかもしれません.彼らの多くは結局ハーバード大学へ行ったり,スタンフォード大学へ行ったりと,進路だけ見たらさほど多様性はありません.つまり,彼らや彼らの親だって,いわゆる社会のメインストリームの価値観から大きく外れた,並外れた柔軟な思考とか,思い切りの良さを持ってるわけではないと思うのです.

穿った見方かもしれませんが,彼らが課外活動に尽力し,学外で表彰されるような結果を求めるのは,それが進学先の選択肢を広げ,キャリアの選択肢を広げるから,だと思うのです.決して彼らの視点が広いとか,能力が絶対的に高いとかではなく,評価されることをしている,それだけです.日本ではそれがたまたま受験という,わかりやすいシステムになっていて,日本の高校生はそれに対して行動しているだけではないでしょうか.(評価される内容に幅があると言うのは,アメリカの制度の良さであり,不公平さであると思います.それは今回の論点ではなくて,多様に見える高校生も,アメリカの大人も,結局「評価されることをしてる」のは変わらないのかな,という点が気になりました.)

日本の大学生を見たらそれは端的です.彼ら彼女らだって,学生団体,部活,リーダーシップ活動,ボランティア,旅行,起業,アメリカの大学生に負けず劣らず,実にいろいろやっています.そしてそれは彼らの視野が高校生の時より抜群に広がったからではなく,その活動が次の就職活動で評価されることを知っているから,かもしれません.

そんなことを考えながら,数日前に見た,東大の「グローバルリーダー育成プログラム」を思い出しました.グローバルリーダー,などの手垢のついた言葉を焼き回すセンスのなさや,何がしたいのかわからない気持ち悪さはさておいて,「高い語学力と教養を備えた人材(長いので以下TGKSJ)の育成を目指す」のであれば,TGKSJ育成のためのコースを作るのではなくて,TGKSJが評価されるようにする方が効果があるような気がしました.

学生は賢いですから,TGKSJになることが必要なら,自分で方法は考えるでしょう.世の中の人は賢いですから,TGKSJになりたい人が増えれば,ビジ ネスとして機会を提供する人もいるでしょう.東大は日本国内のブランドもあるわけですし,中の人にはTGKSJになる社会的インセンティブを作るように仕向ける仕事をして欲しいと思っています.つまり,実際のプログラム設計よりも,もう一段上の仕事,つまり社会全体のダイナミクスや評価体制を変えられるような働きかけなどでしょうか.実際の打ち手については他の人や団体が考えてくれます.東大は自分たちにしかできない大上段に構えた仕事をしたらいいのではないかと思いますし,それくらいのふてぶてしさも影響力も持つ数少ない大学です.1大学でのプログラムの実施に留まらない効果を期待しています.